今月のコラム

この欄では、毎月気付いてほしいこと、気にしてほしいことについて一テーマ毎月書いていきます。

ぜひ取り組んでみてください。


2016年のコラムはこちら


2017年2月のコラム  身体にまかせる

私たちの稽古会では、身体を感じる力が大切だと考えています。。

そもそもの足の指はどうだったか、どのように地面を感じるか。

そして、身体に良い動き、ほぐし、ストレッチ、姿勢などをシェアしています。


その時、私は必ず皆さんに言うことがあります。


「毎日やってはだめですよ」


多くの方が、「毎日やってください」と言われるのではないかと思っていたらしく、ポカンとして「どうしてですか?」 と聞きます。


毎日やるって、どういうことでしょうか。

毎日やると決めたらやるんです・・・ですか? だれが決めましたか? あなたですか? あなたの頭ですか?


頭です。


ひとしきり首をひねってから、皆さんおっしゃいます。その通り。頭ですね。意志であると言っても過言ではないでしょうね。


それはしないでほしいのです。歯を食いしばって、がんばる・・・、決めたことだから、最後までやる・・・、毎日しなくちゃいけないのだから・・・という心が、身体を見えなくしてしまいます。


私たちの会では、「身体がどう変わったか?」フィードバックをかけていきます。一週間に一度であっても、この使い方なら楽ちんだとか、安定した!?  みたいな身体感覚を味わっていただいています。それを家でやりたいと言って下さるのは本当に嬉しいことですが、義務にしないでほしいのです。

つまり、「楽だからやる」「やりたいからやる」ということなら、やってほしいのです。結果として、毎日やっちゃったけど、別に毎日やろうとは思わなかったのにね、というのなら、正解です。「毎日やる」と決めたからやるのはダメ。

人の身体の内在する力、自発力といいますか、身体がやりたいという声をきちんと聴けなければ、身体との対話はうまく行きません。


私は若いときは、一日何キロ歩いて、柔軟体操を何分何セットやって、素振りを何回、筋トレをジムでやって、道場で稽古して・・・と、スケジュールをびっちりと組んで、頭の指示に従ってトレーニングをしていました。何が起こるか。短期的には身体は作れます。しかし、長期的には身体の声を聞かず無理をして股関節と膝関節をすっかり壊してしまいました。もう空手はできない、ハイキックはできない・・・そういう絶望の中で、身体とどう付き合うかを考えて、今があります。(今は、できる範囲で空手を続けています)。


身体がやりたくないときは、やらない。

身体がやりたくないことをやらない。

素直に、身体の声を聞く。


え? 「休みたい」って声しか聞こえてこない?


じゃあ、じっくりしっかり休んでください。休んで休んで、動きたいという声が聞こえたら立ち上がる。

まずは、そこからです。

身体の声を無視しない。本当にやりたい、本当に動きたいというのを感じる。

どの動きならば、姿勢なら身体が喜ぶでしょうか。(稽古会にはそれらのヒントがあります)。

頭の命令で身体を動かすことをちょっとやめてみてください。

そこから、身体の声を聞きましょう!!



2017年 1月のコラム 目に見えないこと 1

新年が明けました。

初詣に行かれた方も多いのではないかと思います。

私たちの会では、「目に見えないこと」について、色々とお話することも多いのです。

目に見えなくても、感じることはありますし、目に見えなくても、感じなくても「ある」ものはある・・・かもしれません。

確信をもって言えないだけで、そこに「ない」と言うことはできません。(ちょっと哲学的命題ですね)。


私は科学的少女でしたから、「目に見えないものは信じない」「感じられないものは存在しない」と断じて恐れない子どもでした。

死んだら終わりだし、死体はモノだし、神社や寺、教会といった建造物が好きではありませんでした。

神仏もいないし、鬼も妖怪もいない。祈っても叶わないことばかりだし、呪っても何もおこらない。


そういう考えが大きく変わるのはいつ頃だったでしょうか。

幽霊をみたわけでもないし、神の声を聞いたわけでもありません。

ただ、目に見えないものを許容する世界のほうが豊かだなあと、感じたのです。

きっかけがアフリカ在住だったか、沖縄を旅したことか、親しい先生を見送ったことかはわかりません。

鈍い私は、いまだかつてそういう第六感的な経験はまったくありません。


それから、勉強をすればするほど、「人知でわかっていることはたったのこれだけか」ということを思い知りました。

ソクラテスの「無知の知」の認識かもしれません。大いなる自然世界の持っている英知や智慧は私たちの解明を拒んでいます。

その英知を「目に見えないもの」として、わずかでも捉えることができるなら、それは有用な知の在り方ではないでしょうか。

何もかも闇雲に信じるのではない。明らかに否定できるものでない限り、それを信じてみる。

私たちが、最初に行う実験もそういうものです。目に見えない力が、私たちの身体に作用するのです。

それを「バカバカしい」「トリックだ」というのは、簡単です。

かつて、トリックとして同じことができると請け負った人もいましたが、トリックで同じことができるとしても、何の意味もありません。

そういうことをしているのではないことをご理解いただければと思います。


理屈はよくわからないけど、なにかがあるよね。

そこから全てが始まります。

身体の可能性の、ほんのわずかなヒントがそこにあります。

きっと、数年後、数十年後にはこれらの現象も科学として解明されるかもしれません。

解明されるのを待っている必要はないし、時間もありません。


ただ、信じてやってみる。

それの有用性を感じる。(有用でないと感じれば、辞めたらよいのです)。

それだけで身体の可能性が開くとしたら、なんて簡単なことでしょうか。

目に見えないものを、ちょっと信じてみて下さい。