今月のコラム

この欄では、毎月気付いてほしいこと、気にしてほしいことについて一テーマ毎月書いていきます。

ぜひ取り組んでみてください。


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2017年 1月のコラム 目に見えないこと 1

新年が明けました。

初詣に行かれた方も多いのではないかと思います。

私たちの会では、「目に見えないこと」について、色々とお話することも多いのです。

目に見えなくても、感じることはありますし、目に見えなくても、感じなくても「ある」ものはある・・・かもしれません。

確信をもって言えないだけで、そこに「ない」と言うことはできません。(ちょっと哲学的命題ですね)。


私は科学的少女でしたから、「目に見えないものは信じない」「感じられないものは存在しない」と断じて恐れない子どもでした。

死んだら終わりだし、死体はモノだし、神社や寺、教会といった建造物が好きではありませんでした。

神仏もいないし、鬼も妖怪もいない。祈っても叶わないことばかりだし、呪っても何もおこらない。


そういう考えが大きく変わるのはいつ頃だったでしょうか。

幽霊をみたわけでもないし、神の声を聞いたわけでもありません。

ただ、目に見えないものを許容する世界のほうが豊かだなあと、感じたのです。

きっかけがアフリカ在住だったか、沖縄を旅したことか、親しい先生を見送ったことかはわかりません。

鈍い私は、いまだかつてそういう第六感的な経験はまったくありません。


それから、勉強をすればするほど、「人知でわかっていることはたったのこれだけか」ということを思い知りました。

ソクラテスの「無知の知」の認識かもしれません。大いなる自然世界の持っている英知や智慧は私たちの解明を拒んでいます。

その英知を「目に見えないもの」として、わずかでも捉えることができるなら、それは有用な知の在り方ではないでしょうか。

何もかも闇雲に信じるのではない。明らかに否定できるものでない限り、それを信じてみる。

私たちが、最初に行う実験もそういうものです。目に見えない力が、私たちの身体に作用するのです。

それを「バカバカしい」「トリックだ」というのは、簡単です。

かつて、トリックとして同じことができると請け負った人もいましたが、トリックで同じことができるとしても、何の意味もありません。

そういうことをしているのではないことをご理解いただければと思います。


理屈はよくわからないけど、なにかがあるよね。

そこから全てが始まります。

身体の可能性の、ほんのわずかなヒントがそこにあります。

きっと、数年後、数十年後にはこれらの現象も科学として解明されるかもしれません。

解明されるのを待っている必要はないし、時間もありません。


ただ、信じてやってみる。

それの有用性を感じる。(有用でないと感じれば、辞めたらよいのです)。

それだけで身体の可能性が開くとしたら、なんて簡単なことでしょうか。

目に見えないものを、ちょっと信じてみて下さい。