2016年のコラム



2016年 12月のコラム あきらめなければ夢はかなう


あっという間に師走です。皆さんにとってはどんな一年でしたか?

それぞれに、色々な想いがあるでしょう。

良かった一年の人にもそうでない人にも、未来は平等に開けています。

振り返ることも大事ですが、少し前を向いてみませんか。

私たちの会では「護身」の習得を掲げておりますが、何よりも一人一人が生き生きと悔いなく生きることを目的としています。人間は「希望」がなければ生きていけません。あなたの「希望」はなんですか?


私たちの会では、12月から1月にかけて会員さんたちに「五年後」の自分の夢を語ってもらっています。

すぐに思い浮かぶ方もおられれば、考え中のままの方もおられます。

しかし、驚いたことにすぐに壮大な計画を発表してくださった方は、会で一番年長の女性でありました。

夢見ることに年齢は関係ない。

ただし、夢見るだけでは不十分で、綿密な計画が伴わなければいけないので「五年」なのです。


叶わない夢などないと言えば、反発されるでしょう。でも、その夢が本当に本当にあなたの心の奥底からわき出ている願いならば、叶うのです。

え? 今から医者になりたい? そういう人もいるかもしれないですね。

・・・なんのため? それはどういう夢なの?

私はそう聞き返します。人を助けるため? 勉強をしたいから?

人を助けるためなら、別の方法もあります。勉強は医学部に行かなくてもできます。

あなたの夢は、本物ですか? 

本物なら叶います。諦めなければ叶います。

虚栄心を満たす、他人を蹴落とす、などは本物ではないのです。

夢を叶える方法はいろいろあります。真に願うなら、方法を模索するでしょう。「諦めればそこで試合終了」です。(by安西先生)


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諦めないことが肝心なんです。

多くの死にゆく人にインタビューをした、かのエリザベス・キューブラ―=ロス博士は言います。

最後に悲しいのは死ぬこと自体ではない。「自分の本当の人生を生きなかった」ことを人は悔やむと。

本当は、あれがしたかった。これがしたかった。そう思って死ぬこと以上の不幸があるでしょうか。

また、多くの高齢者に調査した結果、人生での一番の悔いは「チャレンジしなかったこと」なのだそうです。

その答えは、国や人種、文化を超えて共通だと言います。

あなたの人生を生きてください。

あなた自身の人生を。誰かの附属物ではなく、従属物でもなく、あなた自身の人生を生きるのです。

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あなたの5年後の目標は、何ですか?

夢は何ですか?

新年に向けて、思いを巡らせてください。



2016年 11月のコラム 本当の護身 1


私どもの稽古会では、「護身」を目標に掲げております。多くの方が、「キック、パンチ」的な動きを期待されますし、手を掴まれたらどう解けば良いのかなどということを稽古していると思われるようです。(そういう方には、空手や、合気道をお勧めしています)。
もちろん、希望があれば、そのような動きの基本はお教えします。
実際に先日の稽古では、基本の「手ほどき」をやりました。
しかし、その稽古のときにもお話しましたが、それが目的ではないし、それを「護身術」と位置付けたくはないのです。
一日で習得できるような簡単なコツも大事ですが、相手が自分よりも技量が上、体力が上だとしたら、簡単にやられてしまうでしょう。相手だって、素人とは限りませんもの。
じゃあ、一番の「護身」ってなんですか? と門人たちに問いかけました。
はい! 恨みを買わないことです!
はい! 危ない場所に行かないことです!
女性たちは、大変明解に答えてくださいました。
恨みを買わない・・・大事なことですね。でも、通り魔のような、全くかかわりのない人が巻き込まれる犯罪もあります。
危ない場所にいかない・・・今、日本で、どこが「危ない場所」でどこが「安全な場所」でしょうか? 犯罪が起こる場所、時間は予想がつかないくらい多様です。
私たちは、「護身」とは、全身をセンサーにして、「危ない場所・危ない状況」の検知を行うことから始まると考えます。
外界に開かれた心とからだ。
そのためには、何が必要か。
心とからだは、繋がっています。
まず、開く。
心を開くためには、身体を開く。身体操作で、まず滞りのないつくりを目指します。
力まず、緩まず、閉じず。
そして、聞く、見る、感じる。
ヘッドホンをして歩くのをやめましょう。歩きながらスマホを見るのはやめましょう。
車の運転でも、BGMの音量は小さめに。
風を感じましょう。光を感じましょう。空気を感じましょう。
そこから、始まる「護身」は、あなたを別の世界に連れて行ってくれるはずです。


2016年10月のコラム 丁寧に大切に扱うということ


10月になりましたね。寒さ暑さも彼岸までのはずですが、少々暑い日々が続きますね。

私たちの稽古では、人を人として大切に接すること、丁寧に動くことで自分の身体を整えるということをしています。

敬意を払って、相手を尊重する。その行為と心の動きが、あなた自身の心と身体を整えます。


「私たちは、モノじゃない」「モノ扱いしないで」という言い方があります。あなたは「モノ」ではないし、あなたの目の前にいる人も「モノ」ではないですね。ところが、私たちは人口過密な世界にいます。相手を人間だと思うと、とてもじゃないけど、やってられない。満員電車の中などそうでしょう。私たちはヒトであってモノではない。

ですから、雑に扱うことで、相手とうまく行かなくなってしまう。技もそうです。

でも、実は「丁寧さ」というのは相手にだけ作用しているものではありません。自分自身にも「丁寧さ」は作用します。

相手を思い、尊重し、丁寧に、大切に接することは、相手のみならず、自分の身体にも良い影響を与えます。

そして不可思議なことに、相手が「モノ」であっても同じなのです。これは、門人の方、体験の方には必ずお見せしていることなのですが、雑に動くことが、自分自身の身体をダメにしている実感ができます。(文章で説明するのは難しいので、ご興味のある方は一度見に来られてください)。

相手(「モノ」であっても、「ヒト」であっても)を大事に、丁寧に動く。

それだけでも身体は整います。

ある意味、身体を雑に扱うというのは、身体(=「モノ」)を雑に扱っているということですね。

雑に動く自分自身の身体も、ガタガタになります。

何をするにも、少しだけ丁寧に動いてみましょう。音を立てずに歩き、音を立てずにお茶碗を洗ってみましょう。ペットボトルを丁寧に運び、お茶を飲むときも、両手で湯呑をもってみませんか? 背筋を伸ばして、箸の先まで意識をして大事に食べてみましょう。

日常の起居進退の動作を丁寧な意識の通ったものにするだけで、違ってくるはずです。

まず、人間が変わります。周りの人があなたに礼儀正しくなります。そして、笑顔で接しましょうね。それによって、周りの人の身体も整うのです。

モノも扱い方一つで変わります。モノも、本来の良さを発揮します。大事に長く使われたモノは、「九十九神」となるんですよ。日本文化では、もともと、モノも大切に扱ってたのですね。

丁寧に、大事に。たぶん、武術極意の一つなのだと思っています。


2016年 9月のコラム 二人の巨匠

涼しくなりましたね。暑い夏でした。

今日は身体のこととは少し離れて、私の尊敬する漫画家のお二人の言葉をご紹介します。

一人めは、赤塚不二夫さん。あの、『天才バカボン』の作者です。

その赤塚さんが、書いたもの。


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自分ト フタリッキリデ
暮ラスノダ

自分ノパンツハ

自分デ洗ウノダ


自分ハ自分ヲ

尊敬シテイルカラ

ソレクライ

ナンデモナイノダ


自分ガ ニコニコスレバ

自分モ嬉シクナッテ

ニコニコスルノダ


自分ガ怒ルト

自分ハ コワクナルノデ

スグニ自分ト

仲直リスルノダ


自分ハトッテモ

傷ツキヤスイカラ

自分ハ自分ニ

優シクスルノダ


自分ノ言ウコトサエ

キイテイレバ

自分ハ自分ヲ

失ウコトハナイ


自分ハ自分ガ好キデ

好キデタマラナイ


自分ノタメナラ

生命モ惜シクナイ


ソレホド自分ハ

スバラシイノダ


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自分自身と仲良くする。実は難しいことです。でも、あなたはあなたしかいません。どんな人生でも、一人一人他人と違います。あなたと同じ人はほかにいません。

自分自身とまず、仲良くやっていこう!


二人めは、水木しげる先生です。

『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木先生ですが、ご自身の体験を漫画にした戦記物もぜひ一読ください。

さて、水木先生は、「幸福になるための7か条」というものを残しておられます。


●第一条「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない。」

●第二条「しないでいられないことをし続けなさい。」

●第三条「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。」

●第四条「好きの力を信じる。」

●第五条「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。」

●第六条「怠け者になりなさい。」

●第七条「目に見えない世界を信じる。」


どうでしょうか。

ぜひ、しないではいられないこと、楽しいこと、好きなことを追求して生きていきましょう。

努力は人を裏切るかもしれませんが、本当に好きなことなら、そんなこと関係ないですね!

私は第六条だけは、人後に落ちませんが(^◇^)

第七条に関しては、またいずれ、改めて書きましょう。






2016年 8月のコラム ○○○○GO!

巷では、「ポケモンGO!」というゲームが大流行ですね。皆さまの近所ではいかがですか?

どこでも、スマートフォンを片手にウロウロしている方を見かけます。先日もJR防府駅に夜中に行ったところ、たくさんの人がポケモンを捕まえるために集まっていました。若い男性が「コラッタがいるよー!誰か捕まえて」と大声をあげていました。

私も、スマホは持っていませんが、ポケモンを楽しんだ世代です。(最初の151匹はわかりますよ!)


私はスマホを持っていないので、ゲームはしませんが、その楽しさは理解できます。メディアはポケモンGO!の問題点を多く取り上げますが、功罪の「功」の部分もあります。自閉症などでコミュニケーションが苦手な子どもたちが、ポケモンを捕獲したくて、家の外に出ていき、知らない人と情報交換をしたりしているというのです。ちょっと嬉しい話じゃないですか。

人は、必要性があればコミュニケーションをとるのです。

知らない人を見たら、「不審者」と思え・・・という風潮の世の中、私たちはどんどんコミュニケーションが苦手になっています。私自身もコミュニケーションが苦手でした。(今でも、対人関係では緊張するタイプです)。でも、できることならば、知らない人と話をしたり、時間を過ごしたりすることは、楽しいものだと思います。ですから、ポケモンGO!だけではもったいない。

今朝、私は、大きな銀行の駐車場で誘導をしている警備員さんと話をしました。きっかけは、「暑いですね」だったかもしれません。笑顔で挨拶から始まり、彼女とほんの少し楽しい時間を過ごしました。真っ黒に日焼けした警備員のお姉さんは、「これでも日焼け止めしてるんですよ」と笑顔を見せてくれました。私はその日本人離れした肌の色にアフリカの人たちの人懐っこい笑顔を思い出し、お姉さんの褐色の肌に見とれました。

アフリカでは、人懐っこい人々が、いつもいつも笑顔で話しかけてくれました。(現地語がまるでわかってなくても!!)

ポケモンGO!が、きっかけでも構わないですが、まず、外に出ましょう。外に出て知らない人と話をしてみましょう。コミュニケーションの楽しさを知りましょう。

スマホなど、なくてもいいのです。挨拶と、笑顔があればいい。

ポケモンを集めるのではなく、笑顔を集めてみましょう。

だから、本当はポケモンGO!・・・じゃなくて、ニンゲンGO!と私は言いたいし、えがおでGO!なのです。


2016年7月のコラム ご自愛ください

7月になりました。もう真夏のような暑さですね。皆さまお身体ご自愛下さい...と良く言います。皆さんは、この「自愛」という言葉、使いますか?

自愛=自分自身を愛すること。ここでは、自分の身体を愛すること。言うは簡単。行うは難しです。

昨夜テレビ番組で、「子どもは体温調節能力が未熟なので、夏はクーラーなどで気温を調節してください」と言っているのを見ました。あれあれ? 未熟であれば、それはいつ成熟するのでしょうか。愛するということは、大事にして、甘やかすということでしょうか。あれれ。違いますね?

じゃあ、厳しく鍛えるべきかというと、それも少し違います。暑さを根性で乗り切らせるのが、「愛」ではありません。

愛するということは、まず、相手を認めるということです。闇雲に自分勝手な好意や善意の押し付ることほど迷惑なことはありませんよね。一人の尊重されるべき相手として、認める。相手は身体です。身体はあなた自身ですが、他者でもあります。人間は意識(頭脳)で、身体を押さえつけようとします。「子どもは体温調節が未熟なので」「クーラーを使おう」という二段論法は、脳の得意技です。

身体を大事にする、身体を「他者として愛する」ためには、自分の意識とは違うところで身体は存在すると、まずはイメージしてみてください。あなた(身体)は、あなた(意識)であって、あなたそのものではない。

「愛する」ってどういうことか。独立した存在として、尊重すべき相手として認めて、耳を傾けてください。何を本当に身体が欲しているのか、どういう扱いなら嬉しいのか、身体は声なき声で伝えます。

「気温が上がったから、休憩しよう」ではなく、「身体がしんどいと言ってるから、休憩しよう」のほうが、「自愛」なのです。

この違いがわかりますか? 誰か他人が休めというから休むのではない。誰か偉い人が身体に良いよと言ったから従うのではない。いったん、自分の身体に聞いてみてください。その上で、身体を育てる。気温が上がる時期だったら、身体がどのように体温調節をするか。体温調節機能をどのように成熟させていくか。

無理したらダメです。でも、甘やかすのもダメです。子育てと一緒ですね。私たちは一生、「からだ育て」なのです。

ひたすら身体の声を聴きましょう。

そして、無条件に自分の身体を愛してみて下さい。身体はあなたと共にある、あなたの盟友です。

ともあれ、本当に暑くなります。「お身体ご自愛くださいね」(^_-)-☆

2016年6月のコラム 本当の笑顔

先月は、笑顔を作ろうと書きました。最初は作り笑いでもいいのです。愛想笑いでもいいのです。とにかくやってみてくださいと、稽古でもお願いしています。実際のお稽古では、笑顔になる効果を実感できますから、門人さんたちは毎度爆笑しながら稽古しています。(笑いすぎ?)

さて、笑顔ですが、これが本当にやろうとすると実に難しいのです。「その顔怖いよー」という方も少なくありません。「笑ってます!」とおっしゃるのですが、傍目に見たらやっぱり違和感があり、これは下手な笑顔だなあと思うこともしばしば。もちろん、下手な笑顔でもやらぬよりもよいのです。が、少し、レベルアップしてみましょう!!

本当の笑顔は、どこも力んでいないで出てくる笑顔です。笑顔というのが、筋肉運動であるなら、笑顔を作る筋肉は緊張しているはずです。しかし、本当の笑顔が出たときには、どこも全く力みません。身体の隅々まで、滞りがなく軽いこと。その感じを味わってください。そして、どんな時なら心の底から笑顔になれるか、自分自身を観察してみましょう。

ある日の学生の質問に、「先生! 笑顔ならどんな笑顔でも効果があるんですか?」というものがありました。どんな笑顔でも、やらないよりはマシでしょう。でも、他人が失敗したのをニヤニヤ笑うとか、馬鹿にして笑うときって、「本当の笑顔」の身体の感じとは全く違いますね。

私は、乗り物が大好きです。蒸気機関車や、新幹線が通るのに出くわすと、嬉しくてついニコニコしてしまいます。(蒸気機関車が通る時には、必ず手を振ってしまいます)。どんな時でも、そういう笑顔になれるアイテムが身近にあるといいですね。あなたの、笑顔になれるアイテムは何ですか? 家族? 夕焼け? 音楽? 絵画? 猫の昼寝? テントウムシ?

そして、私は思うのです

どんな時でも、つい笑顔になってしまう、本当の笑顔になってしまうアイテムに囲まれていること。それこそが、「幸せ」じゃあないかな? と。

小さなことから、本当の笑顔になって、、一緒に幸せになりましょうね。

2016年5月のコラム 「笑顔革命!!(*^_^*)」

笑顔が良いことは、だれもが知っていることです。

アタマではわかってるけど・・・。理解はしているけど・・・。そうおっしゃる方も少なくないと思います。しかし、できない。できないということは、「わかっていない」「理解していない」ということです。以前学んでいた武道で「できないということは、わかっていないということよ」とお叱りを受けたことがあります。心底納得すれば、行動は変わります。それがないということは、「わかっていない」ということです。もちろん、門人の方々は、笑顔の威力をよくご存じのはずですが。

それでも、笑顔は難しいかもしれません。微笑みかけても、相手が全く反応しないとき、なんとも間の悪い思いをすることがありますね。実際に、笑いかけて100%笑顔が返ってくることはありません。けれど、やってみようではないですか。

笑顔の効用はいくつもあります。笑顔によって、上半身の力みが抜け、身体が整うという効果。脳内物質セロトニンの分泌が増えて、穏やかになるという効果。そして、がん細胞をやっつけるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化するという効果。これらは自分自身に対する効果ですが、笑顔は相手に対しても作用します。

バスに乗ったときのことです。目の前の席の赤ちゃんと目があいました。ぐずりかけです。お母さんは必死にあやしています。私は、ニコニコと笑いかけました。お母さんは前に向いて、赤ちゃんは後ろを向いています。赤ちゃんは、すぐにぐずるのをやめて、声を立てて笑い始めました。つられて周りの乗客も笑顔になります。「うるさいなあ」と迷惑がっていた空気が一変した瞬間を肌で感じました。知らない隣の乗客とも、「赤ちゃん可愛かねえ」「昔は皆赤ん坊やったもんね」と話が弾みました。

赤ちゃんの笑顔の威力にはかないませんが、あなたの笑顔が、空気を変えるかもしれません。

小さな笑顔が、自分を変える、周りを変える―――ひいては世界を変えるとしたら、これはもう、「笑顔革命」ですね。

2016年4月のコラム 「よりかからないで立つ」

寄りかからないで立てますか?

そう聞くと、多くの方が「大丈夫」とおっしゃいます。しかし、お時間があれば、ATMの列、レジ待ちの列を観察してください。その方たちの重心はどこにありますか? たぶん多くの方が、片方の脚に寄りかかっているのではないかと思います。つまり、学校体育の「休め」の姿勢をもう少しずらしたような感じです。もっと重症な人になると、歯磨きをするときも、料理やお皿を洗う時も、どこかに身体を預けているというケースもあります。

何かにすがる、寄りかかるということは、その寄りかかった何かを失えば簡単に崩れます。逆に言えば、寄りかかっている人を崩すのは簡単です。武術的にも、危うい姿勢であり、あまり美しくありません。寄りかからないで立つことで、どこにでもどうでも動ける身体を作ります。正しい立ち方などはありません。けれど、より動きやすい、より崩れない身体のありようはあるのです。

精神と身体はつながっていますから、寄りかからないで立つことは、誰かのせいにするんではなくて、自分の人生を自分の人生として引き受ける覚悟を意味します。誰かに頼らない、誰かに依存しない生き方とつながります。・・・だから、男性は、寄りかかってくるような女性が好きなのかもしれませんね(苦笑)。でも本当は、毎回もたれかかられるのは疲れるはずです。男も女ももたれかからない、寄りかからない、すがらないで立ってみましょう。そこには、人間同士の新しい関係が見えてくるはずです。

ちょっとした時間、何かを待つ時間、立っているときに、自分はどのように立っているか、観察してみてください。

そして、寄りかからないで立とうとしてみてください。最初はわからないかもしれません。どうしたら、寄りかからないで楽に立てるか。

一か月だまされたと思って、寄りかからないで立ってみてください。

ちなみに、九州北部の方言では寄りかかることを「なんかかる」と言います。

なんかからんで、立ちんしゃい!