今月のコラム

この欄では、毎月気付いてほしいこと、気にしてほしいことについて一テーマ毎月書いていきます。

ぜひ取り組んでみてください。

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2019年10月のコラム 小さな筋肉を使う


長かった暑い夏もやっと終わりました。今年は彼岸花もちょっと咲く時期が遅れました・・・。そのくらい暑かったんでしょうね。昼間の気温はまだ三〇度近くありますから、皆さん、お気をつけ下さい。

さて。
筋トレについて書いたときも、大きな筋肉を使うことの弊害を考えて書いたつもりでした。
今改めて読み返すと、あまり伝わっていないように思います。
なので、もう一度! (大事なことは何度でも言います!)

人体に骨は200ちょっとあります。(ちょっと・・・というのは、赤ん坊と大人で違うからですね。大人は206くらい。赤ちゃんはもっともっと多いです)。
では、筋肉はどのくらいあると思いますか? 骨を動かす(それも一方向ではないのです!)ためについていますから、少なくとも倍・・・だいたい600あると言われています。

600というと、解剖生理学を学ぶ学生さんたちはめまいがして勉強を放棄してしまいそうな数です。
実際に解剖生理学で教える筋肉は、だいたい100から200の間、でしょうか。(だから、学生さんも安心して下さい!!)
勉強では、基本的な身体の運動のしくみが理解できればいいので、そんなにたくさん覚える必要はありません。
からだ塾でも、そこまで詳細な筋肉解説をすることはありません。
特に肩や前腕、腰や骨盤周囲の筋肉は複雑で、解剖図を見せてもピンと来ません。

肩の動きは、僧帽筋、三角筋、広背筋、大円筋、小円筋、大胸筋、小胸筋、前鋸筋と、鎖骨、肩甲骨、上腕骨、胸骨くらいの関係がわかってれば、なんとなくわかるでしょうか。(もちろん、肩関節のしくみから言うとローテーターカフのしくみも重要ですが)。
もっとあるのですが、ここに簡単に挙げた筋肉の正確な位置や動きが、把握できるかというととても難しいですね。
私たちが自分で動かしてよくわかるのは、「表面の」「大きな」筋肉だけですから。

つまり、「力感」(力を入れた感じ)というのは、数多くある筋肉群の中でも「表面にある」「大きな」筋肉を使ったときに得られる体感であるということを知って欲しいのです。
何度も述べたように、筋肉は大きなものだけではなく、表面にあるものだけではありません。むしろ、小さな隠れた筋肉の総量は、体表の筋肉群よりも多いはずです。
「力感」がある・・・ということは、中の小さな筋肉群が使えていない可能性があるわけです。
「力感」があるときには、いったん緩めて、中の筋肉、小さな筋肉に呼びかけてみて下さい。武術ではよくあることですが、「力感」があるときには、技はほとんどかからないものです。(相手が人間であるということが重要です。私たちは相手の動きを無意識にフィードバックするので、相手が力めば、自分も力みます。いや、弓道でも、良い射は力感を見ている者たちに感じさせません)。

大きな筋肉が頑張ると、小さな筋肉が油断します。その結果、「力感はある」「疲れる」けど、それほど力は出てないということになります。
一人がたくさん頑張るよりも、多くの人が少しずつ頑張るほうが成果が出る・・・という世間知に通じるところがありますね。
力まないで動きましょうを言い換えれば、「小さい、中の筋肉を使いましょう」とでも言えば良いでしょうか。

もっとも、最初から中のほうから使える人はいません。
稽古を積んでも、最初はどうしても意図して動こうとすると外の筋肉に頼ってしまいます。
まったくのずぶの素人さん(それも女性や高齢者)のほうが、外の筋肉がない分、中を使えたりします。それを見て、多くの稽古人がガッカリしてしまいます。

違うのです。
力んでしまう自分を乗り越えた人と、最初から「力めない、筋力自体がない」人とは結果が似ていても、中身が全然違います。

全身を使う。
一人は皆のために、皆は一つの目標のために。
One for all, All for one.

そのためには、一部の筋肉(人)に任せない。
一般社会でも同じ。皆が頑張ればできることがたくさんあります。 



 2019年9月のコラム 身体操作について習うということ


ずいぶん暑さも和らぎました。皆さんは、夏の疲れが出ていませんか? しっかり休んで備えましょう!

さて、今日は「習う」ということについて話をします。からだ塾では、「習う」という技術についても説明することがあります。

「習う」に技術が必要か? 

そのことを痛感する出来事がありました。私がやっているある武道でのことです。とても偉い先生が来られて講習会がありました。そのときにある先輩がその先生に質問をして、答えを聞いたあと、私に「ほらね。そうよね。教本にもそう書いてあるから、そっちが正しいよね。聴いてよ。○○先生ったら、違うことを教えてて、私は困ったのよ」と言いました。

○○先生というのは、私の師匠でもあります。

私は、先輩が言ったことに、軽く苛立ちを覚えながら反論しました。

「○○先生は、教本が正しいとかそういうことじゃないことを伝えようとしたのかもしれません。身体操作の指導といのは、画一的にやれるものではありません。「習う」ほうの人間が指導者の意図を組むことは難しいこともあります。」

先輩は意味不明という風情で、「私はそんなことを言ってるんじゃない。教本に則って指導しなくちゃいけないということよ」などと聞く耳を持ちませんでした。

私は、一斉に授業が行われる他の勉強と、身体の勉強は全然異なっていると考えます。同じ言葉を聞いても、受け取り方は様々なのが身体感覚です。そして、相手の身体感覚を私が見て理解することはかなり難しいことです。

最低限の動きについては、見た目からフィードバックをかけることができます。

しかし、深い動きになると教える側と受け取る側のすり合わせでしか「教える」は、成り立ちません。

教える人と習う人、双方の観察力と洞察力がモノを言います。だから、最初期にテキストがあったとしても(動きの基本は知っててもらって覚えてもらってから稽古が始まりますから)、進むにつれて、身体に対する指導は人それぞれになっていきます。


昔の武術は、今の体育の授業のようではなかったと言います。

必ず、一対一。師匠と弟子の身体感覚の洞察勝負なわけです。

もちろん、現在の「武道」では、先生が前に立って行う体育のようなものもありますが、それでも、指導というのは一人一人に行われるものであります。


言葉が同じでも、言う人が違えば違う。言われる方の人によって、言葉は変わる。


「あなた」に師匠が投げかけた言葉は、唯一無二のものです。他の人のために発せられたわけではなく、「あなた」に向けられたものです。ということは、身体感覚の稽古は、常に一対一でしか行うことはできません。

これは、「テキストにこう書いているから」とか「偉い○○先生が言ってたから」という「万人向け」の指導とは全くことなります。


私がインターネットを通じて、皆さんに話しかけることはできても、身体感覚の指導は絶対にネットではできません。

(ヒントを置いていくだけです)。ですから、まずはあなたに向けられたあなたの師匠を言葉を信じて習いましょう。わからなければ、何度でも聞けば良いのです。それに応えるのが指導者の仕事ですから!!


身体操作をまなぶということは、一対一で、師匠と向き合うということでもあるのです。それを肝に銘じて、稽古しましょう。師匠の言葉に耳を傾け、身体で理解しましょう。

「万人向け」の稽古で満足する人は、その先に行けませんし、その先があることにも気付きません。

是非、武道武術の深みへ、ご一緒しましょう!!



2019年8月のコラム 筋トレ再考


暑い暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

昨日は山口市は38度近くまで気温が上昇し、一日中稽古していた私はうっかり熱中症になるところでした。

危ないですね(汗)。つい夢中になるというのは、稽古の上では必要なのですが、気分が悪くなって初めて己の不調に気付くというのでは、遅すぎますね。反省です。


さて。

今日は「筋トレ」についてもう一度考えてみたいと思います。

というのも、今、若い人たちに人気のアニメ「ダンベル何キロ持てる?」が意外にも結構面白いからです。

もちろん、このアニメは「筋トレ」がテーマです。主人公のひびきは女子高校生ですが太ったことで「痩せたい」という動機でジムへ行き、ボディビルダーのトレーナーや仲間と出会いいろいろなスポーツ理論や実際のトレーニングに挑戦していくというアニメです。


主人公たちがあまりに楽しそうに筋トレをするので、ついつられてやってみたくなります。

というか・・・実際にテレビを見ながらやってしまったのは私です(汗)。

筋トレ禁止と言ってるのにずるいですね。


普段意識できない部分を、意識するのに筋トレは使えるなあと思いながらちょっとだけダンベルカールをやってみました。

普段はあまり使わないようにしている上腕の筋肉の弛緩と収縮がダイレクトにわかります。


なるほどー。


筋トレも、一つの身体との対話です。

質の良い筋トレをしようと思えば、筋肉を意識して身体全体の構えを維持していなければいけません。

それは、もう筋トレという身体対話のような様相を呈します。

そして、筋トレは効果が目に見えるのですから、楽しいですね。はまります。


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だから、筋トレは怖いと思って下さい。

パーツごとに身体を鍛える→効率よく筋肉が肥大する・・・というのが筋トレですが、日常生活や競技、武術では「パーツごと」に身体を使うということは絶対にありません。むしろ「パーツとして使う」ことを忌み嫌います。パンチをしているから「手」でしょ? というのは、素人です。パンチであっても、全身を連動させて「手」以上の力を出すのが武術のパンチです。


筋トレでは全身の連動はできない。

むしろ、大事なときにパーツで使う筋トレの動きがでてしまい、邪魔になる。

だから、筋トレ禁止ですと私は言ってきました。

今でもそれは変わりません。


しかし、稽古をしているときに「あ、ここが弱いな」と見ていてわかるときがあります。

たとえば、お腹です。

お腹と腰、背中と胸は身体の土台を作る幹となります。

しかし、お腹は使い方がわかっておられない人が多くいつも悩みます。

お腹が使えていないですねーと言おうものなら、「じゃ、腹筋します!」と目を輝かせるので慌てて「あ、腹筋はちょっと・・・」と言うことになります。


最近は、お腹が弱い人には「腕立て伏せ」の最初の状態だけやってもらうことがあります。

ただ腕をついて身体をまっすぐに保持するだけです。筋トレとは言えないかもしれませんね。たいした負荷はありませんから。

いやいや。お腹が弱い人には、このポーズも至難の業なんですが。


「ダンベル何キロ持てる?」を見ながら考えました。「筋トレ競技(ボディビルやベンチプレスを含みます)」のための「筋トレ」は必要です。そして、「筋トレ」は楽しいしはまります。だからこそ、「筋トレ」は気をつけて欲しいと思います。必要なことを必要なだけするのが、大切なんです。

(塾生には、アドバイスしますよー)


それにしても、「ダンベル何キロ持てる?」の主人公、ひびきちゃんの声優さんにはびっくりしました。

ファイルーズあいさん。新人さんなのですが、とても上手い。ひびきちゃんにぴったり。

ですが! 彼女の趣味は「筋トレ」! ムキムキのリアルひびきちゃんでした!!



2019年7月のコラム  忘れる能力


7月になりました。またまた更新が遅れてごめんなさい。m(__)m


7月の初めは、私の好きな花が咲きます。え? 柄でもないって?

いえいえ。「花より団子」で生きてきた私ではありますが、好きな花もあるんですよ。

それは、ネム(合歓)です。ふわふわとピンクの花が、特徴的な樹形の上にぽわぽわと咲きます。

昔は別に好きな花ではありませんでした。


なぜ好きになったか?

なんでだろうなあと、ぽわぽわした花を眺めながら考えました。

ああ、そうかと思い当たりました。


私がはじめて子どもを出産したのが、7月なのです。

不安と緊張の中、でも腹をくくるしかない、産むしかないとなったときに、目に入ったのが、この花でした。

臨月の不安もあったはずですが、それよりも生物として充実していた身体の感覚をまざまざと思い出すことができます。

苦笑いしちゃいますよね。不安とか恐怖はすっかり忘れていますもの。


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学生さんが嘆きます。「忘れるほうが、覚えるよりも多い」と。

私は「忘れる能力って大事なんだよ」とフォローしますが、誰もフォローと思っていない様子。

忘れなければいいのに、と口を尖らせます。


いいえ。いいえ。

考えてもみて下さい。

いま、私がネムの花を見て幸せな気分になれるのは、当時の不安をリアルには覚えていないからです。


あなたが、今まで経験したどんな嫌な事でも、「リアルにまざまざと」思い出せるということはないはずです。

(つい最近経験したことなら、まだリアルでしょうが)。


時間は、あなたにとって辛かった苦しかったことを風化させてくれます。

それは、正常な心的機構です。(もちろん病的反応であるトラウマとなれば、話は別ですが)。

時間薬と言いますが、心にもそれがあります。そして、それは人間の「忘れる能力」という大切な能力なんです。


辛かったこと、苦しかったことはそれがあったということは覚えていますが、実際の感覚ーー震えるような恐怖や、今もう死んでしまいたいような苦痛ーーは、忘れています。なんてありがたいんでしょう!!


そして、人間のスゴイところは、それだけではないです。

幸せな記憶のほうが、忘れにくいんです。


「花より団子」という人生を歩んできた私でさえ、こうやって長生きしていると、「花も団子も」と幸せが増えました。

長生きすることの意味が、私にはわかっていませんでした。

今は少しわかります。

花を愛でる、自分の人生を振り返りちょっぴり幸せな気分になれる・・・為かもしれません。

そのためにも、「忘れる能力」ってとても大切。

いつかは忘れる。時間が救ってくれる。・・・ちょっとだけそう思って下さい。

そして、幸せな記憶を大事に過ごしてください。

忘れる能力があるから、人間は生きていられる。

恥ばかり多い私には、とても救いです。

皆さんは、どうですか?


2019年6月のコラム ルーティーン


さて、6月も半ばになってしまいました。
今月はコラム、大変お待たせしましたm(__)m

というのも、私が整理整頓が苦手(物理的にも時間的にも)ということで、どうしてもバタバタとしてしまうわけです。
それはそれで、なんとか綱渡りで仕事をこなしてきたのですが、コラムにまで手が回りませんでした。
書きたいことはたくさんあるのに!

「先生、今月はコラムどうなってます?」

ある人に聞かれて、「うわ、ごめんなさい」と同時に、本当に心から嬉しかったことを告白しておきます。
誰かが読みたいと待っているのは、本当に嬉しいものです。
皆さんも、何か感想がありましたら、遠慮なく教えて下さいね。

さて。
今日は「ルーティーン」の話です。
ラグビーの五郎丸選手のあのポーズとともに、有名になりましたね。
私が一つだけ提唱したいルーティーンがあります。
からだ塾では、基本的にどんなことでも「毎日やってはいけません」とお伝えします。
毎日やる・・・というのは、自分自身の脳(自我)が決めて、身体に命令するわけですね。
そういう構造を破壊したいんです。身体がやりたいと言ってるなーと感じてやる。
ご飯を食べるというのも、そうです。身体が「食べたい」というのを感じてから食べる。
時間が来たから食べるというのは、身体を無視した行動です。(ですから、私は時々食事を抜くことを推奨しています。それも無理して抜くのではなくて、忙しく過ごしていたら食べるの忘れてた・・・という時があっても良いよという意味です)。

毎日やらないで下さい。
そういう私が毎日のルーティーンを言うんですから、矛盾してますねw

毎日やってほしいことが一つだけあります。
毎日5分でいいですよ。
「自分の身体と向き合う」時間を作って下さい。
私は朝目が覚めてと、夜寝るときに布団の中で、このルーティーンをこなします。
(もっとも、夜のほうは気がつくと寝落ちしていますから、5分やれているか怪しいものですがw)

布団の中で自分の身体を感じます。
重さ、暖かさ・・・からだ塾で稽古している人には、もう少し詳しい話をお伝えしてますが。
目を閉じたまま、自分の身体の中を丁寧に見ていくのです。

足指をギュウと握ります。
手指を動かして感覚を確かめます。
あなたの端っこがありましたね。

次に、寝転がったまま、もぞもぞと身体を動かしてみましょう。
固まったところはないか? 意識できないところはないか?
(意識できないところは、触れてみましょう)。

もぞもぞしているとあることに気づきます。
身体の動きが連動している! という発見があればOK。
なくても、そういう物かなとぼんやり感じていて下さい。
骨盤の動きと、肩。股関節の動きと足首。
いろいろな連動がみえてきます。
身体に集中するのは、疲れます。(普段やらないことですから)
ですから、最後に自分に「よくやった! ヨシヨシヽ(^^」と自分(と自分の身体)をしっかり褒めて、何も考えないでぼーっとして、「今日も頑張るぞ」「今日は良くやった!」と満足して終わって下さい。

ここまで、だいたい5分。
うまく出来たら2分とかでも構いません。
その「身体に集注する時間」をルーティーンにして欲しいのです。
身体と仲良くやってほしい。
身体はあなた自身であり、朋友です。
最後の日まで、あなたと共にあります。

ちょっとしたルーティーンがあなたの身体を変えます。
決して、別の事を考えながら動くなどはしないで下さいね。
あなたが身体と向き合うこと、これが大切なのです。 



2019年 5月のコラム 挑戦し続けるということ


皆さんこんにちは。
今日は二十四節気の立夏。どんどん季節が変わりますね。昨日などは、アイスクリームがおいしい天気でした。

さて、先月は多くの年配の方とお話する機会がありました。
生き生きと笑顔で年を取る方、なんとなく元気なのだけど健康に不安がある方、病気を持っているにもかかわらず生き生きとしている方・・・。
この差はなんだろうなあと、自分の未来像を重ねて考えました。

元気な方の共通点は、「目標がある」ということです。小さな事でも良いのですが、目標を持ち、その目標にチャレンジし続けている人が元気なのです。
私の弓道の先生方は、70代を超えても尚チャレンジし続けています。一人の先生などは、連休中の京都(考えるだけでも人混みに酔いそうです(ToT))に審査を受けに行かれました。その方などは持病をお持ちですが、なんとかして工夫と気力で出かけて行かれました。

健康になりたい、長生きしたいという方の相談を受けて、一番困るのは、「やることなくて。暇なの」という事を言われる時です。何のために長生きしたいのですか? という質問を私はそっと飲み込みます。なぜか。そういう方は「長生きしたいから長生きしたい」とおっしゃるとわかっているからです。
仕事が忙しい世代、子育てが忙しい世代はすでに日常がチャレンジです。「今の仕事をやりきりたい」「子どもを立派に育て上げたい」というのは、ぼんやり過ごしていては実現しない目標ですから、平凡で面白くないと本人さんが思っておられても、その目標があってチャレンジしていることには大きな意義があります。(本当に高齢の方が長生きすることは実際にはチャレンジであることもあります。)

しかし、多くの人にとって、「生きる」ことはチャレンジではありません。
何も考えなくても生きられるのが今の社会です。生きることに追われなくなったとき、人ははじめて哲学を生んだと言われています。
年をとって、仕事や子育てなどから解放されて、やっと自由に生きる時間を持てた人が「やることなくて。暇なの」ではもったいない。
人が老いるのは、チャレンジしなくなることが一番の原因です。

他人のためでもいい。
自分のためでもいい。
ちょっと難しい目標、なりたい自分を設定してそれにチャレンジしてみる。
楽しみたい・・・という目標でも構いません。ぼーっと生きていたらできないことに積極的にトライすることで、生きる力が湧いてきます。
一〇年後、二〇年後。
どんな自分でいたいですか?
魅力的で生き生きとした人生を最後まで続けるなら、今から自分の「チャレンジ」について考えてみて下さい。
からだ塾では、そういう「目標」についても、常に問いかけています。大人になってそんなことを考える暇がない人がほとんどですが、常に問いかけられるとだんだん自分の人生が明確に見えてきます。
今どんなに若くても、必ず年を取ります。
生き生きと生きる。
ワクワク生きる。

チャレンジこそが、一番の「長生きと健康の秘訣」なのです。 


2019年4月のコラム 「いい人」になる

春ですね。皆さん、お元気ですか?

こちらでも桜が八部咲き。でも、昨日からの寒の戻りに震えています。


さて、今日の話はアニメからの話題です。(実は私はアニメやマンガが大好きなのです)。

『モブサイコ100』というアニメがあります。好きな人たちの間では結構話題になっていますが、一般にはあまり受けがよろしくない。理由は主人公が地味だというところではないかと思っています。

さて。その『モブサイコ100』の地味な主人公は超能力を持っています。

彼の師匠が、主人公の少年「モブ」に言う台詞があります。

人生の指針、超能力の使い方を学ぼうとする「モブ」に「いい人になれ!」と言うのです。

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人間はどうあるべきか。

そのように振る舞うべきであるか。

そもそも人間とは何か。


古今東西の哲学者たちが考えてきたテーマでもあります。

それを一言で「いい人になれ」と言い放った師匠。

当初は私は「いい人」なんて相対的なものだから、なんとイイカゲンなことを言うのだと思ったものです。

しかし、主人公の「モブ」くんは、自分なりに考えていろいろな人たちと対峙する中で真摯に「いい人」であろうとします。ウーロン茶の缶一つとっても、「作った人」がいる。だから粗末にできない。そういう想像力を細やかに働かせていくわけです。

なるほど。一面の真理だと思いました。

「いい人」になる。


私たちの会では、「ウソをなるべくつかない」「笑顔で」という二大原則があります(本当はもう一つ原則があるのですが、それは説明すると長くなるので)。ウソをつかないで笑顔で過ごせるとしたら、その人は「いい人」の最低条件かもしれませんね。

私がそれを言うのは、回り回って「自分のため」です。ウソをつくとからだが弱くなる。不機嫌な顔をしているとからだが弱くなる。だから、それはやめようと言っています。

『親切は驚くほど体にいい!』という書籍があります。(D.ハミルトン著、飛鳥新社)

人に親切にするという行為が、いかに自分にも他人にも良い影響を与えるかということが延々と説明されています。幸せになりたければ、人に親切にすれば良いのです。健康にもなります。実に科学的な裏付けがあるのです。

新しい職場、新しい学校、新しい人間関係になる方も多いかと思います。

私もそうです。毎年毎年新しい学生さんたちと出会います。不安と緊張の中新年度がスタートします。

その中で、あえて言いましょう。(自分に言い聞かせましょう!)

「いい人になろう!」

そうです。親切は驚くほど体に良いのです。もちろん、心にも!!


2019年3月のコラム 身体操作の極意

ずいぶん暖かくなりました。当地では菜の花が満開です。

気持ちがウキウキと上がる方もおられれば、なんとなくメランコリーになるという方もおられると思います。季節や天気、風景や周りの人の対応で私たちの心は大きく揺れます。本来ならいついかなるときでも「揺るぎない」自分がいれば良いのですが、なかなかそうなりませんし、揺れているのにそれを認めない鈍さが一番の困りものです。そういうものだとわかった上で、改善があったり「揺るがない」ためには? という次のステップにいけるのですから。

さて。

今日は、会員の方とはすでに共有しているはずの身体操作の極意をおさらいしておきましょう。

極意というと、なんだか大層なことのようですが、私はまず、この二つを理解してもらってから細かいことがあるのだと思っています。基本のキですね。

極意は二つです。

一つは、「解剖学的な基本的な知識」。

え? と思う人もいるかもしれません。医者でもないのに「解剖学」とはまた大仰ではないかと思われることでしょう。しかし、私たちの身体は「物理」です。(もちろん「物理」だけではありませんが)。骨の形状上、動ける方向が決まっています。また、筋肉の形状を見ればその筋肉が何をするための筋肉なのかがわかります。

そうなっているから、逆らわない。筋骨の名前を覚えることは必要ありません。その程度の(この程度でも結構大変ではありますが)、動作原理の知識があるとないとでは大きな差が出ます。

肘や膝がどのように曲がるようにできているか。腹筋は何のためにあるのか。股関節を屈曲させる筋肉はどこにあるのか。指先を開くための筋肉はどこにあるのか。首はどこがどのように曲がるのか。股関節はどこか。(意外に皆さん違うところを股関節と思っていて、そこから曲げようとしてしまいます)。

身体操作というと、なんだか難しいことのようですが、まずは「生き物」としての本来の動きはどのようなものであるのか、どこからどう曲がるのが理にかなうのかを理解してることが大切です。子どもはそれを、身体を動かして遊びながら体得しますが、大人はまず「頭」で理解して動くことが近道なのです。

もう一つの極意は、「One for all, All for one」です。

デュマの『三銃士』の言葉らしいのですが、「一人はみんなのために。みんなは一つの目的のために」と訳されます。(みんなは一人のために・・・は誤訳だそうです)。この言葉に出会ったとき、私は、「これだ!!」と思ったのです。

身体のどこもかしこも、置いてけぼりにしない。忘れない。捨てない。道具にしない。わかりますか? 指先や足の裏、足の指、背中なんかを無視しない。身体のすべてが使われて、生き生きと動く・・・ことができれば、それこそが最高のパフォーマンスを生みます。だからといって、背中が出しゃばるんじゃないし、腹筋が出しゃばるわけでもない。そのバランスと、「全身が生き生きとする」ことが身体操作の極意といえるでしょう。

どうすれば、それが実現できるか・・・。それは私自身の課題でもあります。

でも、まずは意識を変える。身体にはすっごく頑張るところとそうでもないところがあって良いわけではなく、どんな部位でも気持ちを通しておいて使えるようにする。サボっているところや、過労で倒れそうなところがないか、常に気を配る。


あれれ。まるで、会社の社長さんみたいですね。会社じゃなくても、あなたはあなたの身体を預かっているリーダーです。身体の使い方について、まずは会社(身体)が生き生きとするように、すべての社員(身体部位)をしっかり見て、しっかり使ってほしいと思います。

あなたの社員は、どんな風ですか? あなたの会社経営はいかがですか?


2019年2月のコラム 「いま、ここ」を生きる


今日は立春です(更新遅れてすみません!)。

名実ともに、新しい年が始まりました。新たな気持ちで前向きに進みましょう!!

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私がいつも残念に思っていることがあります。

私は○○だから・・・。という決めつけが、自分の可能性や柔軟性を損なっている人の多いこと!

○○の中に謙遜ともとれるネガティブな言葉が入れば、私は即座に否定します。「馬鹿だから」「頭悪いから」「運動神経がないから」「もう年齢だから」「未熟だから」という言葉は自分の頭から、さっさと捨ててしまうべきです。「そんなの関係ねえ♪」というフレーズが私の頭の中でなりひびきます。

今日は、逆の話。逆だったら良いかというと、そんな単純なことではないのです。

○○の中に、ポジティブな言葉が入ればいいか? そこを問題にしたいのです。

私は頭が良いから。

私は運動神経が良いから。

・・・これは、よくあることですが、実際に評価されたことのある人ほどそれに囚われてしまうのです。有名大学卒だから、大会で優勝経験があるから、高い段位を持っているから、社会人として高い地位にあるから。また、これらとは別の生活経験がその人の○○になってることもあります。苦しい離婚トラブルや介護経験を乗り越えたから、闘病を乗り越えたから。子育てや妊活、仕事や海外経験。自分が経験したことは宝ですが、それを根拠に生きている人のなんと多いことか!?(私自身も自戒を込めて書いています)。

過去がどうだったからどうだというのでしょうか。もしくは、会社では偉い人でも、今目の前にいるあなたは何者なのでしょうか。

「いま、ここ」にいるあなたをそのまま自分で受け入れる方法はないのでしょうか。

何にもとらわれず、先入観なしの「いま、ここ」の自分とは?

「いま、ここ」は一瞬で、少しでも心がとらわれていたら逃してしまうものです。


禅の世界に「無位の真人」という言葉があるのだそうです。

いろいろな解釈がありますが、私は、何もかもをとっぱっらって「いま、ここ」を真剣に生きることが「無位の真人」に近づくことじゃないかと考えてしまいます。年齢も性別も関係ない。多くのとらわれを少しずつ外していくわけです。近代西洋思想においては「自我」「アイデンティティ」ということが大きな問題となっていました。「私は何者か?」「私が」「私が」と「私」中心に考えることの限界が今の世界状況を作り出しているかもしれません。

「仕事も地位も知識も関係なく、ただ「いま、ここ」を真剣に生きる場」が、あなたにはあるでしょうか。


なければ、つくってみてください。取り戻してみてください。

(私たちは、生まれた時は「無位の真人」だったのかもしれません)。


私たちはいつか死ぬときは地位も名誉も愛する人も連れて行けません。「いま、ここ」をしっかりと生ききることでしか、しっかり死ねません。あなたの中の「無位の真人」が大きく育つように、「いま、ここ」を生きて、生きて、生き抜きましょう。


2019年1月のコラム まっすぐ立つということについて

皆さん、明けましておめでとうございます。
さて、今日は、「まっすぐ立つ」ことについて少し付け加えて行きたいと思います。このコラムで、「よりかからないで立つ」ことをお勧めしました。(2016年4月)

よりかからないで立つことの先にある目標は、「まっすぐに立つ」ということでもあります。(実際には、身体の中のどこにもよりかからなければ、結果的にまっすぐになるのですが)。

まっすぐに立てるとしたら、それは全ての身体操作の上で良いパフォーマンスをうみます。もちろん、まっすぐに立つことだけが重要ではないのですが、まっすぐに立ててはじめてわかる世界というモノがあります。

特に、私が日々修練をしている「武道・武術」の世界では、まっすぐに立つことは最重要と言っても良い案件の一つです。まっすぐ立てて、はじめて使える技があるのです。

まっすぐに立って下さいと言うと、多くの人が「立ってます」とお答えになると思います。では、まっすぐって、何でしょう? 写真やビデオで客観的に確認すればまっすぐが検証できるでしょうか。

私はそれは難しいと思います。なぜなら、ヒトの身体は左右対称ではないからです。(利き手とか利き足を考えるまでもなく、内臓一つとっても左右対称のほうが少ないくらいです)。ならば、何をもって「まっすぐ」と言えるか。
私にとって、「まっすぐ」は感覚です。自分の足先、足裏から頭のてっぺん、手の指先まで身体の隅々まで感覚して、すべてがよりかからず、すべてが力まず、ストンと立てるか。力んでいるところ、よりかかるところを一つずつ丁寧に直していき、まっすぐを作ります。
筋肉、骨、内臓、神経、皮膚、自分の周りの空気。全てを感じて、ストンという感覚。

ある日、私はいつものように、「まっすぐ」を探して立っていました。ときどき「あ!」と声が上がるくらいストンという感覚が出てくるのですが、どうもそれが長続きしません。第一に私の集中力のなさが原因なのですが、それにもめげず立ち続けていたときのことです。

ストンがズレるのを静かに見守り続けて行きます。ズレたなあと思えば、微調整してまたストンを追いかけます。どのくらいストンを追いかけていたでしょうか。私はあることに気づきました。ジッとしている、止まっていると思うのは、自分だけだった。心臓は動き続けて血液を送り続け、呼吸は続き、消化管は蠕動を続けている。私はまっすぐ立っているつもりでも、中身はずっと動いている。ということは、本当にまっすぐ立とうとすれば、その中身の状態に影響を受けないはずがありません。
自分の感覚で微調整しつつ、立つ。ストンと立つ。そのことは、私の今の課題です。
カメラや他人の目ではわからないレベルの、小さな小さな感覚を追いかけて「まっすぐ立つ」。
一つ正解の形「まっすぐ」があるわけではありません。「まっすぐ」を感じて(感じようとして)立ち続ける行為そのものが、まっすぐ立つということの本質なのではないかと思うのです。


よりかからないで立つ。まっすぐ立つ。

正しい形に自分を押し込むのではなく、正しいとは何かを自分に問うて下さい。
自分と身体との対話が始まる、第一歩ですね。